定年を迎え、新たなキャリアを模索する方は多いのではないでしょうか。
それは半強制的に「定年」という形で、そうせざるを得なくなる人もいれば、自発的に、自らのキャリアの締め括りとして、新たなチャレンジに臨む方もいらっしゃいます。
今回はファイナンシャルプランナー(FP)として長年経験を積まれてきた山中伸枝さん(1966年5月生まれ)に、キャリア後半戦の挑戦について伺いました。

■山中伸枝(やまなか のぶえ)
心とお財布を幸せにする専門家。ファイナンシャルプランナー(CFP®)。社会福祉士。米国オハイオ州立大学ビジネス学部卒業。「楽しい・分かりやすい・やる気になる」講演、ライフプラン相談、執筆など多数。
金融・マネーと縁がない日本交通公社(JTB)に就職しました
――山中さんのキャリアスタートは、今のファイナンシャルプランナー(FP)とは関係のある金融・マネーのお仕事だったのですか。
山中 いいえ、実はまったく畑違いだったのです。
短大を卒業して入社したのが、当時はまだ「日本交通公社」と呼ばれていた頃のJTBでした。
JTBを選んだ理由は、当時の学生の間では一番人気のあった就職先だったことや、旅行に絡んだお仕事なので、何となく楽しそうだなと思ったことです。
あと金融も、バブルの最中だったので興味はありましたが、何となく難しい世界のような気がして、JTBを選びました。
配属先は東京の日本橋支店で、窓口業務で航空券の販売を担当しました。
もちろんインターネットなど普及していませんから、航空券をお求めになるお客様に、支店のカウンターで申込用紙に必要事項を記入していただき、それを私たち販売員が専用端末に打ち込むという流れでした。
ちなみに私が担当していた航空会社は東亜国内航空という、後に日本エアシステムになり、日本航空に吸収された航空会社でした。
結果的にJTBには3年間勤務しました。
その頃の女性は「クリスマスケーキ」などと言われ、24歳までには結婚しないと、という風潮でしたが、JTBは女性にとって働きやすい職場で、長く勤められている先輩社員も大勢いらっしゃいました。
米国に在住して大学で学んだ4年間は貴重な時間でした
――FPの資格は結婚してから取得されたのですか。
山中 そうです。
といっても結婚してからFPになるまでには、10年以上のタイムラグがあります。
義理の父は自動車の金型をつくる会社を経営していたのですが、夫に経験を積ませる狙いもあり、多くの日本企業が進出している米国のオハイオ州に、新婚夫婦そろって行くことになりました。
結婚して間もなく慣れない海外生活は大変でした。
何をすればよいのかもわからない状態でしたが、義理の父から大学に通ってみてはどうかと言ってもらい、オハイオ州立大学に入学しました。
ビジネス学部を選んだ理由は、消去法で一番単位が取りやすいだろうと考えたからです。
当時はまだ日本経済が元気だったので、授業のケーススタディに日本企業が多く用いられていました。
また、これは高校までの学びのおかげですが、日本人は総じて数学などの基礎学力が高いため、会計学などの授業で米国の学生や、その他の国から来た留学生よりも高い点を取ることができたのです。
そんな学生生活を送りつつ、米国には4年間在住しました。
シンガポールで自分のマーケットバリューを高める大切さに気づきました
――帰国されてからはどのようなお仕事をされたのですか。
山中 帰国してからは義父の会社に入り、義父の秘書をしながら、シンガポール進出のためのお手伝いなどをしていました。
シンガポールは常駐ではなく、採用ならびに福利厚生担当ということで、必要な時に行ったり来たりを繰り返していました。
その時、シンガポールの現地で採用した30歳くらいの女性のことを、今でも覚えています。
その女性は入社したばかりなのに、ランチの時間に求人誌を読み始めたのです。
私は驚いてしまい、何となく彼女に確認してみると、
「今の職場に不満で新しい働く場を探しているのではない。どういうスキルを持っていれば、少しでも給料をアップできるのかを、求人誌の条件を見ながら考えていた」
と言うのです。
自分自身のマーケットバリューを高めるにはどうすればよいのかを考えるなんてことは、当時の日本企業では考えられなかっただけに新鮮でした。
「個人をサポートする仕事がしたい」という思いがFPにつながりました
――FPを知ったきっかけは何ですか。
山中 義父の経営している会社が荒波に飲み込まれそうになったのは、カルロス・ゴーン氏が日産自動車のCEO(最高経営責任者)に就任した時です。
あの頃、「日産リバイバルプラン」によって、日産自動車は見事、V字回復を遂げたわけですが、その過程で多くの下請け企業が仕事を失い、経営不振に陥りました。
義父の会社も例外ではなく、人員整理の必要に迫られてしまいました。私は人員整理の担当者として業務を行ったのですが、けじめとして自分自身も会社を辞めることにしました。
その時、一部の社員に早期退職をお願いしたわけですが、皆さんがおっしゃられたのが、「これからどうしたらいいのだろう?」ということでした。
先々、どうなるかわからないし、次の仕事が見つかるまでの間、今の貯蓄で足りるだろうか…。
いろいろ不安事が押し寄せてきて、この言葉が口から出たのだと思います。
それを聞いた時、「これからは個人をサポートする仕事をしたい」と考えるようになりました。
それでハローワークに行き、いろいろ調べた時に出会ったのが、FPの養成講座だったのです。
当時、バブル崩壊の影響で日本経済が厳しく、就職できない人があふれている時代でした。
その再就職を支援するために、国が専門学校などで学ぶ際の受講料を助成してくれる制度があったので、それを活用して2ヵ月間、専門学校に通ってFP資格を取得するための勉強をしました。

FPとしての知識が活かせそうな仕事はどんどんやりました
――山中さんは今では金融・マネーに関するたくさんの本を出版されるまでになられましたが、FPとして独り立ちするまでは、どのような経緯だったのですか。
山中 FPの資格を取っただけでは仕事になりませんから、最初は自宅の近くで、子ども向けに英語の先生のアルバイトをしたりしました。
英語は米国で生活した経験が役に立ちましたね。
あとは生協にFPのグループがあって、保険の見直しやFP講師の勉強なども経験させてもらいました。
その後はシルバー向けにパソコン教室の先生もしたりと、まあいろいろなことをやっていました。
そうこうしているうちに、ミクシィがサービスを開始したので、そのコミュニティでお金の話を書いていたら、サイバーエージェントの「よくばり生活」というユーザー参加型生活情報サイトから声をかけていただき、2年くらいお金の話を書いていました。
そこでの記事を読んでくださっていた出版社の方から連絡をいただき、暮らしに必要な税金や社会保障に関連する本を書いたのが、初めての自著になります。
仕事は待っていても始まらないので、自分から積極的に飛び込んでいきました。
カルチャーセンターで講師をしたり、大学にレターを送ったところ女子大で採用されてセミナーを始めたりもしました。
その後は主に資産形成に関わることを中心としてきたのですが、確定拠出年金(DC)の運営管理機関がセミナー講師のオーディションを行っていたので、それに参加して講師になったりもしました。
Yahoo!知恵袋で回答者をやったこともあります。
とにかくFPとしての知識を活かせそうなところには、どんどん当たっていきましたね。
そのようなことを繰り返しているうちに、SBIベネフィット・システムズと一緒に、中小企業を対象にしたDC導入のお仕事に携わらせてもらいました。
NISA(ニーサ/少額投資非課税制度)についても金融庁から講演の依頼をいただいたりと仕事の幅もどんどん広がっていきました。
「ライフプランのお看取り」をするために成年後見人になりました
――社会福祉士になるために2年間、大学で学ばれたそうですが、それはなぜですか。
山中 私がFP資格を取得して現在に至るまでは、NISAやiDeCo(イデコ/個人型確定拠出年金)といった個人向けの非課税投資制度が立ち上がり、「貯蓄から投資へ」という流れが徐々に加速していく時代でした。
そして、これからがいよいよ本格的に、その流れが定着していく時代になっていくわけですが、このように時代が移り変わっていく時に、今までのようにNISAやiDeCoについて、私が語り続ける必要はないのかもしれないと考えました。
それよりも興味があるのは、本当に自分がアドバイスしてきたライフプランニングが正しいのかどうかを検証することです。
FPとして大勢の方のライフプランニングをお手伝いしてきましたが、その結果を見ているFPは、まだ少ないと思います。言うなれば、「ライフプランニングのお看取りをしよう」と考えました。
人は誰でも歳を取ります。
自分の最期が近付いてきた時、ライフプランニングをしつつ増やしてきた資産を、どこまで有効に活用できたのか、あるいはできなかったのか。
その人はライフプランをしっかり立てたことによって、自分の人生は幸せだったと思えるのかどうなのか。
そこまで入り込んでライフプランニングの必要性などを知るためには、「成年後見人」として人生の最期に寄り添うことが必要なのではと考えたのです。
――成年後見人になるにはいろいろ大変なように思うのですが…。
現在の制度では家庭裁判所が、弁護士、司法書士、社会福祉士のいずれかを成年後見人として指名することが多いです。
今さら弁護士や司法書士の勉強をするのは無理だと思ったので、今まで最も縁のなかった社会福祉士の資格取得を目指して、通信制の大学で2年間、学びました。
実際、自分が成年後見人になってわかったのですが、成年後見人で金融の知識を持っている人は、ほとんどいません。
そのため、自分のわからないことはひとまず外してしまおうという判断が働くからか、株式や保険といった預金以外の資産はすべて売却して、預金に一本化してしまう成年後見人の方を多く見かけます。
でも、残しておいた方が良い保険や株式・投資信託はあります。
日本が超高齢社会になり、90代で一人暮らしの方も少なくありません。
家族がいても一人暮らしをされている方もいらっしゃいますし、生涯未婚率も年々上昇しています。
これからは一人暮らしの高齢者がますます増えていくので、成年後見人が担う役割の重要性は、さらに高まっていくでしょう。
そのなかでFPの経歴を持ち、金融の知識を身に付けている私が成年後見人として貢献できるところを探していきたいと思っています。
――今日はお忙しいところありがとうございました。
取材を終えてひと言
山中さんの「金融と福祉の融合」という視点は、非常に新鮮でした。
確かに金融の人は福祉を知らず、福祉の人は金融を知らない。
でも、人は生きている限り、お金と無縁ではいられません。
年々、一人暮らしの高齢者が増えています。
当然、高齢になればなるほど、難しい手続きができなくなり、下手をすれば詐欺師などに付け込まれるおそれも生じてきます。
晩年になって、お金のトラブルを抱え込んで、にっちもさっちもいかなくなるのは、あまりにも不幸です。
それだけに、金融と福祉の両方を知っている人の活躍がこれから一層、必要とされるのではないでしょうか。
■取材&構成:鈴木 雅光(金融ジャーナリスト)
岡三証券、公社債新聞社、金融データシステムを経て2004年に独立。投資信託、資産運用を中心に原稿を執筆するのとともに、単行本の企画、ライティングも行う。


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